沖縄全島エイサーまつり実行委員会オフィシャルサイト沖縄全島エイサーまつり

コザ運動公園陸上競技場・胡屋十字路周辺
20248/23(金)8/24(土)8/25(日) (予定)

全島エイサーまつりとは

全島エイサーまつりとは

「沖縄全島エイサーまつり」は、毎年旧盆明けの最初の週末に行われる、1956年の「コザ市誕生」を機に「全島エイサーコンクール」としてスタートし、今では沖縄の夏の風物詩として日本を代表する「まつり」の一つとなりました。

「まつり」には本島各地から選抜された青年会などの団体や、全国の姉妹都市や協賛団体からのゲストが集結します。会場に鳴り響く三線、歌、太鼓のリズムに酔いしれ、その迫力あるバチさばきに感動しながら、本場のエイサーのだいご味を思う存分味わうことが出来る一大イベントです。

まつりは3日間に渡り、金曜日のまつり初日には、国道330号コザ・ゲート通りでの「みちじゅねー」、そして土曜日の中日が沖縄市青年団協議会による「沖縄市青年まつり」日曜日が「本祭」として、全島から集められた青年会による、エイサー大会が沖縄市コザ運動公園で開催されます。

また、運動公園サブグラウンドで同時開催される「ビアフェスト」との相乗効果で会場周辺では、夜遅くまで祭りの賑わいが続きます。

沖縄全島エイサーまつりの歴史

沖縄全島エイサーまつりの歴史

「沖縄全島エイサーまつり」は1956年「コザ市・エイサーコンクール」(1974年にコザ市と美里村が合併し沖縄市が誕生)として開催されました。戦後、基地依存経済の中で商業都市として発展してきたコザ市でしたが、米国民政府による「オフ・リミッツ(米軍人・軍属・家族が 民間地域へ出入りすることを禁ずる規制)」が布かれたことによって商工業者が大ダメージを受けました。市民が暗く、希望を失いかけていたそんな折、戦後復興のシンボルでもあったエイサーがコザ市で盛んに行われていたこともあり「エイサーで元気を取り戻そう!」とエイサーコンクールが開催されたのが始まりです。

沖縄全島エイサーまつりの歴史

第1回大会は沖縄全島から選抜された9団体が出場し、3万人の観衆を集めました。出場団体は一定の審査基準によって審査され、隊形や技、構成人数、衣装等、それぞれの青年会らしい工夫を凝らし競い合ったそうです。この頃から、各シマ(地域)のエイサーが"魅せる"エイサーに徐々に変化し、現代エイサーの衣装やまつりでの隊形作りの原型になったのです。

沖縄全島エイサーまつりの歴史

しかし、地域によって、美的価値の違うエイサーに優劣の差をつけるのには限界があり、審査結果に不満を露わにする青年会も出始めた為、コンクールは廃止され、第22回(1977年)からは「沖縄全島エイサーまつり」として開催されるようになりました。

沖縄全島エイサーまつりの歴史

現在では、3日間開催となり、初日は沖縄市中心市街地を各青年会が練り歩く「道ジュネ―」、中日は、沖縄市内青年会による「沖縄市青年まつり」、最終日には県内各地より選抜された様々なエイサーが繰り広げられ、3日間で延べ30万人の観客動員数を誇る、県内最大のエイサーまつりへと発展しました。

沖縄全島エイサーまつりの歴史

毎年恒例となったフィナーレのカチャーシーで会場一体になり、締めの花火で沖縄の熱い夏を堪能して下さい。
参考文献:「エイサー360度」(発行/沖縄全島エイサーまつり実行委員会発行)